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睦月あじさい


 秋の夕暮れは釣る瓶落とし。先ほどまで真っ赤に染まっていた西の空も藍色に塗り替えられ、ところどころにきらきらと星が瞬いている。
 黒羽と天根は部活を終えた後、いつもと同じように肩を並べ、他愛無い会話をしながら帰り道をてくてくと歩いていた。そして互いの家への分岐点であるT字路まで後10mという所で、天根の歩みがぴたりと止まってしまう。2.3歩先に進んでもついてくる気配を見せない天根を不思議に思い、黒羽は振り返って声を掛けた。

「どーした、ダビ」

「バネさん。俺に何か言うことない?」

 普段感情があまり表に出ない天根の顔に、僅かだが不機嫌な様子が見受けられる。天根の言葉に特に思い当たることのなかった黒羽は、首をひねりながら答えた。

「別にねーぞ。んだよ、その不機嫌そうな面は」

「…やっぱ忘れてんだ」

「何をだよ」

「今日、何日か知ってる?」

「金曜だろ?」

「曜日じゃなくて、日にち」

「あー…何日だっけか」

「…いいふうふ」

 天根の意味不明な言葉を聞いて、黒羽はますます首を傾げた。

「あ?いい夫婦??またくだらねぇ駄洒落でも考え付いたのか?」

 黒羽がそう答えると、天根には珍しく顔を顰めて完全に不貞腐れた表情のままポツリと呟いた。

「……語呂合わせだよ」

「語呂合わせ?」

「バネさんすぐ忘れるから、覚えやすいように何度も何度もそう言ったじゃん、俺。バネさんだって覚えたって言ってたのに、結局忘れてるし…」

「いいふうふ……いい…い…1…11……ふうふ…ふ…2…22……1122……あ」

 黒羽は天根のヒントでようやく『いいふうふ』が何を示すかわかったようで、天根を指差しながら驚いた表情で答えた。

「もしかしてお前の誕生日?」

「そうだよ。バネさん、忘れるなんてひどい」

 ようやく気付いたらしい黒羽の様子を見て、天根は髪をかきあげながら拗ねた口調でぼそぼそと呟く。まあ、黒羽は自分の誕生日も忘れていたくらいだから、あれだけ念を押したとはいえ嫌な予感はしたのだが。ここまで綺麗さっぱり忘れられていると、やさぐれたくなる天根の気持ちもわからないでもない。

「わりーわりー。そういやそんなこと言ってたな」

「俺、バネさんの誕生日にプレゼントあげたのに…」

 天根はそう言いながら幼い子供のように口を尖らせた。天根からプレゼントを貰った記憶のない黒羽は、その言葉を聞いて首を傾げる。

「プレゼント?何か貰ったか?」

 その言葉に天根は少なからずショックを受けた。天根は黒羽の笑顔が大好きだ。もちろん、怒った顔も泣いた顔(これはあんまり見たことがない)も好きなのだが、黒羽の笑顔は天根にとっては特別だ。見ているとこっちまで嬉しくなってくるのだ。誕生日のときも、黒羽はプレゼントを受け取ったあとその大好きな笑顔で『サンキュ』と言ってくれた。それを見て『あげてよかった』と思ったのに。当の本人はどうやら覚えていないらしい。

「それも忘れてんの?」

「…記憶にねーんだもんよ。仕方ねーだろ」

 そんな天根の気持ちに気付いているのかいないのか、黒羽は困った表情を浮かべて申し訳なさそうにしてはいるものの、容赦ない言葉で答える。本当は自力で思い出して欲しかったのだが、綺麗さっぱり忘れてしまった黒羽にはそれも酷な話かもしれない。天根は深くため息を付いた後、仕方なく自分があげたプレゼントの名前を口にした。

「バネさんの大好きなみますやの焼きもろこし、あげたじゃん」

「みますやの焼きもろこし?…あ!こないだ奢ってくれたやつのこと言ってんのか?!」

 黒羽はそう言えば、2ヶ月ほど前に自分の大好物の焼きもろこし(しかもお気に入りの店)を天根に奢ってもらったことを思い出した。

「そーだよ。バネさんの誕生日の日に奢ったやつ。すっげー喜んでくれたじゃん」

「…そりゃ、確かに喜んだけどよ。あれがプレゼントって言われてもなぁ…」

「あげたのになぁ、プレゼント」

「だから悪かったって」

「俺ってかわいそう」

「………」

 天根にしては珍しくつらつらと文句を言ってくるものだから、黒羽はどうやら本当に困り果ててしまったらしい。さっきから一向に動こうとしない天根を見て深いため息をついている。そうしてしばらくの間お互い同じ場所で所在無く立ち尽くしていたのだが、ずっとこうしていても埒が明かないと思ったのだろう。黒羽は辺りを見回し、何かいい打開策でも見つけたのか俯き加減の天根に声を掛けてきた。

「とりあえず、忘れてたのは悪かった。すまん。そのかわり、今日はお前の言うことなんでも聞いてやるよ。とりあえず、そこでなんか奢ってやっから、それで機嫌直せ。な?」

 黒羽はそう言いながらある場所を指差した。そこは天根たちが学校帰りに買い食いなどでよく利用する、気風のいいおばちゃんがやっている小ぢんまりとした商店だった。温かいものが恋しい季節になったからか、外には中華まんの暖簾が出ており、そのすぐ下には無防備にも中華まんを蒸かす機械が置かれている。

「…いちごミルクマン」

「うし、わかった。お前そこに座って待ってろ」

 天根のリクエストを聞いて、黒羽は小走りに商店へと駆けていく。その後姿を見送りながら、天根は黒羽に言われたとおりガードレールに腰掛けて大人しく待つことにした。そうして黒羽を待つ間、特にすることも無くぼんやりとしていた天根は、そういえば自分が頼んだものに対して珍しく相手の茶々が入らなかったなと思い、なぜだろうかと考えた。
 甘いものが好きな天根は、中華まんを買うにしても肉まんとかはあまり頼まず、黒羽が『邪道だ』と言って憚らない、最近流行の変り種系の甘ったるいものばかりを好んでよく買っていた。それを頼む天根を見て『よくそんな甘いもん食えんなー。味覚が子供なんだな』とからかいながら、自分は定番の肉まんを頼むというのが黒羽の常だった。そのからかいがなかったと言うことは、誕生日を忘れていたことに対して、少しは悪いと思ってくれたのかもしれない。
 そんなことをつらつらと考えていると、会計を済ませた後もおばちゃんに捕まってなかなか離してもらえなかった黒羽が、ようやく開放されてこちらに向かって歩いてきた。黒羽の手にした袋には二人分のホカホカ中華まん…のはずなのだが、それにしてはなんだか袋が大きいような気がする。

「ほれ。いちご何たらと、なんかわかんねーけど甘いやつ」

 黒羽は袋から別の紙袋を出し、天根にそれを渡した。

「ありがと。でも俺、いちごミルクマンしか頼んでないけど」

 天根の手に渡された紙袋の中には、いちごミルクマン以外にも甘い系の中華まんが三つ入っている。

「いちごは俺からで、他のやつはみっちゃんからダビにだってよ」

 みっちゃんとは中華まんを買った商店のおばちゃんの名前だ。黒羽と天根はこのみっちゃんのお気に入りで、買い食いしたときにおまけだと言って毎回色々貰っている。しかしこの量はおまけの域を明らかに超えてしまっているように思えた。

「みっちゃんが?なんで??」

「あー、話してたらお前の話題になって。今日誕生日でいちご何たら奢るんだっつったら『プレゼント』ってこれくれた。良かったな、ダビ。愛されてんじゃねーか」

 黒羽は目にからかいの色を浮かべながら天根に笑いかける。その黒羽の手には、天根のよりは少し小さめだが、明らかに二つ以上は入っていると思われるふくらみを持った紙袋が握られていた。

「…バネさんもね」

「あ?あー、これか。これはほんとにおまけっつってくれたやつだぜ?」

 自分の手にしていた紙袋を持ち上げて黒羽はきょとんとした表情を浮かべる。それはもちろんおまけなのかもしれないが、天根と大差ないその量を見るに、みっちゃんのお気に入り具合は黒羽の方が上なのだろうと思われた。

「わかってねーんだ」

「なにがだよ」

「んー、別に。独り言」

「…変なやつだな」

 天根の言葉に何か釈然としないものを感じた黒羽は、胡乱な眼差しを相手に向けながら袋から肉まんを取り出し齧り付いた。天根もそれを見て黒羽と同じように紙袋からホカホカのいちごミルクマンを手に取る。外で待たされたせいで思ったよりも体が冷えていたのか、それは心地よいぬくもりを天根の手に与えてくれた。

「あったけー」

「冷めないうちに食えよ」

 口をもごもご動かしながら黒羽は目線で食べるよう促がす。

「うぃ…ってバネさん、こぼしてる」

 先ほど喋ったときにでも落ちたのか、肉まんの中身がほんの少しだが学ランの胸元に付いていた。

「ん?どこだ?」

 黒羽が天根に言われてこぼしたものを取ろうとした瞬間、今度はさっきよりも幾分大きめの具が落ちた。しかもそれは黒羽がシャツを第2ボタンまで外していたため、シャツの淵と肌との間に上手い具合に着地してしまう。天根がその一部始終を目の当たりにし、『漫画みたいだな』と思った矢先、黒羽がものすごい声を出して叫んでいた。

「!!ぅあっちっっっ!!!!!!」

 先ほど買ってきたばかりの肉まんはもちろん出来立てのホカホカ。周りの皮は触っても温かいと感じるくらいの温度だが、中身はもちろんそれよりもはるかに温かい…というか、熱い。それが黒羽の肌に触れたのだ。驚きと熱さで叫んでしまったのも頷ける。しかも落ちた場所が場所なだけに、下手に動くと服の中に具が落ち、もっとまずい事になるのは火を見るより明らかだ。かといってそのままでいようものなら、確実に黒羽は火傷してしまう。そう思った瞬間、天根は素早く立ち上がって黒羽の胸元に顔を寄せ、口を開いてそれをパクッと食べていた。天根の迅速な行動のおかげで、黒羽のシャツの淵に乗っかっていた分は僅かな染みを残すだけとなったが、黒羽の肌には落ちた時に付いた油と少量の中身が付着しており、油のせいで妙にてらてらと光っているその部分だけがほんのりと赤くなっている。それを見た天根は引き寄せられるようにその場所へと唇を寄せ、ついと舌を伸ばして黒羽の肌に触れた。その瞬間、黒羽の体がピクンと跳ねた。しかし天根はそれに構うことなくゆるりと舌を這わせて丹念に舐めあげていく。そうしてその部分を綺麗にした後、天根はついいつもの癖で離れ際に肌を軽く吸い上げてしまった。するとそれと同時に、黒羽の口から喘ぎともつかないため息が漏れる。

「……っっ」

 それを聞いた天根はかなりクルものを感じたのだが、こんな所で盛ったら黒羽にどつかれるのは目に見えている。天根は仕方なく最後に軽く舌を這わせ、名残を惜しみつつゆっくりと顔をあげた。

「はい、バネさん。取れたよ」

「…っあ、サンキュ。わりぃな」

 子供のように食べ物をこぼしてしまったことを恥ずかしく思ったのか、黒羽は礼の言葉を述べながらはにかんで笑って見せた。その頬は僅かに上気しており、いつも太陽のように笑う黒羽が珍しくもはにかんで笑ってみせたせいか、それとも天根がそういう気持ちで見ているせいなのか、なんだかやけに色っぽい。その様子を間近で見ていたこともあって、天根にしては珍しく考えるよりも先に言葉を発していた。

「バネさん。今日、俺の言うことなんでも聞いてくれるって言ったよね?」

「あ?……あー、まあな」

 何の脈絡もなく天根が突然そんな事を言い出したことに驚いたようだ。黒羽は一瞬言葉に詰まってしまったが、自分の言ったことを思い出したらしくこくりと頷く。するとすかさず天根がたたみかけるように言葉を続けた。

「男体パフェ。食べたい」

「は?」

 今まで聞いたこともないパフェの名前を口にする天根に、黒羽は奇妙な表情を浮かべながら首を傾げた。

「……なんだそりゃ?なんたいぱふぇ??どっかで食えんのか?」

 やはりと言うかなんと言うか、黒羽は『男体パフェ』が何なのかわからないようで、ファミレスあたりで食べれるものだと思っているらしい。正確には『バネさんパフェ』なのだが、もちろんそんなものは両方ともファミレスのメニューに存在しない。と言うかあっても困る。(いろんな意味で)
 そもそもこんな奇妙なものを天根が食べたいと言い出したのも、元を正せば黒羽があんな声を出したせいだ。自分はそんなつもりは無かったのに、その喘ぎともつかぬ声を聞いたとき、咄嗟に『バネさんが食べたい』と思ってしまった。そして何でも言うことを聞いてくれると言うのなら、黒羽の誕生日には大好物の焼きもろこしをあげたのだから、だったら今度は自分の大好物であるパフェになってもらおうと思ったのだ。大好きな黒羽に大好きな生クリーム。さぞかしおいしいことだろう。

「ううん」

「じゃあどーすりゃいいんだよ」

「大丈夫。うちで作ろ。バネさん手伝ってくれたら出来っから」

 と言うよりも、黒羽がいないと作れない。あとは生クリームがあれば完璧だ。

「…まあ、別にいーけどよ…しかしそんな気持ちわりぃもん、よく食う気になんなぁ、お前」

 『男体パフェ』が何なのかうっすらと解ってきたのか、黒羽は眉間に皺を寄せ心底嫌そうな顔をする。

「んー。食ったことないけど、旨いよ。きっと」

「そーかねぇ…生臭くてうねうねしたものに生クリームとかがついてんの想像しただけで気持ちわりーぜ…吸盤にまみれるアイス……うげー」

 吸盤??????
 黒羽が気付き始めたのかと思ったが、どうやら激しく勘違いしているようだ。

「バネさん、吸盤ってなに?」

「なにってお前、イカとかタコとかの手足についてんだろ、吸盤。…もしかしてお前知らなかったのか?」

「…それくらい知ってる。つーか、何でそこでイカとか出てくんの?」

「お前『軟体パフェ』つったろーが。イカとかタコとか入ってんじゃねーのか?」

 男体=軟体=なんたい
 読み方はすべて同じだが、意味がことごとく違う。黒羽が『気持ち悪い』と言いながら想像していたのは生クリームにまみれたイカだったのだ。それを聞いた天根も思わず黒羽と同じものを想像してしまい、口元を押さえて唸ってしまう。

「…イカのパフェなんて俺でもやだよ」

「何だ、違うのか。じゃあ一体何なんだよ。柔軟でもしながらパフェ食うのか?」

 どうも黒羽の頭の中では『軟体』と固定されてしまったようだ。最初はそれを『イカ、タコ』と捉えていたようだが、今度は『柔軟体操』に変えたらしい。

「まー、そんなとこかな」

 体を曲げたり伸ばしたりはするのだから、黒羽の答えは当たらずとも遠からじと言うところだ。しかし黒羽が勝手に勘違いしているとはいえ、そこらへんをぼかして話すあたり、天根もなかなかに狡賢い。

「じゃ、早く行こーぜ。途中で材料買わなきゃなんねーしな。なにがいるんだ?」

 どちらかと言うとせっかちな黒羽は、天根がまだ何も言っていないうちからもうすでに歩き始めている。天根はその様子が、なんだか自ら『男体パフェ』を作りたがっているように見えなくも無いなと思いながら、そのパフェを作るのに必要な材料を答えた。

「生クリーム」

「他には?」

「そんだけでいー」

 天根の答えを聞いて黒羽は歩みを止めて後ろを振り返った。

「パフェだろ?アイスとか果物とか乗っけなくていいのかよ?お前いつもファミレスとかでいちごとかさくらんぼとか乗っかってるやつ頼んでんじゃねーか。それとも一丁前に遠慮なんかしてんのか?」

「別に遠慮なんかしてない。果物…はあるからいらないし、アイスは冷たいからイヤかなーと思って」

 生クリームもある程度冷たいかもしれないが、すぐ体温に馴染むと思うので問題は無い。果物というトッピングも黒羽がいれば十分だ。がしかし、夏ならまだしも今はもう冬間近。アイスなんか乗っけたら黒羽が怒るに決まっている。そんなことを考えた上で出した答えだったのだが、その意味が黒羽に解るわけが無い。

「冷たいからアイスっつーんだろ。なに訳わかんねーこと言ってんだ。大体パフェ食いたいつったのお前だろが」

 黒羽はそう言いながら不可解な表情を浮かべて天根をまじまじと見つめた。

「うーん、でもイヤかなーって思ったんだよね」

 『誰』が『イヤ』なのかをぼかしながら話す天根であった。一方黒羽は、なんだか困った様子の天根に首を傾げるばかりである。

「イヤってお前なぁ…さみーのがそんなにやだったら暖房いれりゃいいだろ」

 天根はその言葉を聞いて目からうろこが落ちる思いだった。というか、エアコンやストーブという文明の利器の存在をすっかり失念していた。自分では気付かなかったが、どうやらかなり舞い上がっていたらしい。

「…そだね。バネさんのお許しも出たし、ストーブがんがん焚こーっと」

 天根はそう言って黒羽に笑いかけながら、もうすっかり冷たくなってしまったプレゼントのいちごミルクマンに齧り付いた。黒羽も手に持っていた肉まんの残りを口に放り込んで綺麗に平らげ、天根に向けてニカッと笑ってみせた。

「おし、じゃー行くか」

「うぃ」

 勘違いしたままの黒羽にそれをあえて訂正しない天根。思惑は違えど、二人は『なんたいパフェ』を作る材料を手に入れるべく、仲良くスーパーへと足を向けたのだった。



●おわり




○ 遅ればせながらダビデ誕生日おめでとう!バネさんと『いい夫婦』でいてください。そして肉まんで胸元を火傷したおまぬけさんは私です。運転中に肉まんは危険です。皆さん気をつけましょう。しかし胸を火傷しつつもこんなネタを考えてしまうあたり、腐女子は転んでもただでは起きないのだとしみじみ痛感。そしてバネさんには男体パフェよりも男体盛りの方が似合うと思います(きっぱり)/睦月あじさい
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